2005/07/17 サイクルマラソン阿蘇望
開会式で「本日は絶好のサイクリング日和で・・・」と挨拶があったが・・・暑い・・・・
先月のウルトラマラソン以来の体調不良に伴う練習不足と体重増、更には前日飛行機(RC)を落としてしまって睡眠不足。
加えて最初のエイドには水がない・・・・炎天下の山の中、マラソン大会なら死人が出ているところだ。
地蔵峠に向かう坂で睡魔が襲ってきた。これまで途中眠たくなることは珍しいことではないが今回はとにかく眠い。
峠に差し掛かる頃には気分まで悪くなった。心拍数が170を越えてくると気分が悪くなることもあるが心拍計は150に届いていない。
どうやら熱中症に陥ったようである。このまま行くと南阿蘇登山道あたりで昇天しかねない。

----決断を下した---
Bコース(48Km)のゴールで若いお嬢さんに「Bコースに変更します」と伝えた。
するとお嬢さんは「わかりました」とニッコリ微笑んで名簿の横にカワイイ文字で「リタイヤ」と鉛筆を走らした。
一昨年の豪雨の大会ではコース変更を認めたではないか・・・・・・・なのに・・・ムゴイ・・・もっと高齢者への配慮を・・・
一昨年の例を除けばリタイヤははじめての経験である。それもこんな風に棄権するとは・・・夢にも思わなかった。それどころか今年はコース変更で楽勝と高をくくっていたのに・・・・・衝撃!

帰路いつものように温泉に立ち寄る、ただいつもと違うのは時間が早い。未だそれらしき仲間は見当たらない。
温泉センターの受付には、若くて純朴そうな女性と人生経験が豊富そうな中年過ぎの女性がいて、私がサイクリングの出で立ちで「入浴券」を渡すと中年過ぎが
「今日は何人ぐらいおりましたか?」と聞いてきた。
「優に700人は超えていた」応えると
「じゃ今から多くなりますね」と若い方。
「いや、他はまだ走っている。後3・4時間したら多くなるだろう」
「はぁ、じゃお客さんは自転車が上手だけんで他の人より早ようゴールしなさったとですね!」と中年がウェアーに目を落とした。
「・・・いや、私はあまり暑かったから途中でやめて温泉に浸かりにきた」と返すと
「・・・やっぱりアータは上手」とオバサンが褒めてくれた。


以下は熊本日日新聞に記載された大会の記事である。
    
サイクルマラソン阿蘇望  2003/07/20

今年もまたこれで暑い夏が始まると思いきや、大雨で大変な大会となってしまった。
(2週間前ミニバレーボール大会で肉離れを引き起こし、病院で初めて車椅子のお世話になる羽目になったが、
車椅子の操縦は自転車より難しいことが判明した)
小雨の中での開会式
最初の坂に差し掛かった頃から雷様がゴロゴロと威嚇してきた。、集中的な豪雨は側溝を飛び出し行く手を遮った。
ヘルメットの隙間から流れ落ちて目の中に入ってくる雨が異常に痛い、チクチクチクチクと痛い。酸性雨?ものもらい?目を半開きにし、昨日買ったスプロケットの27のギアを精魂込めて回しながら考えた。

・・・・・原因が判明した。
今朝丹念に塗り込んだ育毛剤が流れ出したのだ。
なんともはや寂しい話だ---。
---教訓、雨の日に育毛剤は使用するべからず。
どうしてもお世話にならなけれ不安な場合は競泳用のゴーグルを着用すべし。

異変はそれだけではなかった。豪雨の中、ふとスピードメーターに目を落とすと何も表示していない。スタートの時は確かに正常であったのに・・・・。
さすってもゆすってもひっぱたいても一向に言うことを聞かない。
雨の日メーターをラップでチンさせるようにして取り付けている人をたまに見かけるがナルホド納得した。


最初のエイド、15キロ地点。
熊本平野も雲の中


晴れた日の眺望
スタッフの皆さんも雨の中
大変でした。
この先に「西原公共育成牧場」がある。のんびりと牛や馬が遊んでいる。
かつて(このグリーンロードが開通ずーと以前)マウンテンバイクで
サイクリング途中、いきなり現われた白馬に追いかけられ、右に左に逃げ回ったことを思い出す。
(知人曰く、馬が君を追いかけたのではなく、馬の行く先を君がうろちょろと走り回っていたと推測される、と解説した。
どちらにしても馬の鼻息は大層荒い)

地蔵峠(標高約1050M)まで、まだまだ続く10%の坂道。
雨の中傍らにはのんびりと牛が草を食む。

晴れた日の冠ヶ岳(1154M)
左手に肩を並べる「冠ヶ岳」は標高1154M
天まで届きそうな坂道の連続もそろそろフィナーレ。下界に比べそよぐ風は心地よいのだが・・・本日は豪雨なり。
晴れていれば左右に赤とんぼがのんびりと行き来する。

峠に差し掛かるころ雨も小休止。
ふとメーターに目をやると先ほどまで消えていた数字が9になったり10になったりと復活しているではないか。彼も苦労しているようだ。更に、目の痛みも治まった。とうとう育毛剤が流れ落ちてしまったのだ。なんと、もったいない話である。

所々に(┣)の道路標識が目に付く。寸断された林道への入り口である。道路標識のない山道への入り口も寂しそうに顔を見せる。

いざ峠、高度を確認しようと腕時計に目を落とすと何と今度は腕時計の文字が見えない。指先で何度拭いても曇りが取れない。よく見ると液晶も消えているではないか。
その後彼はついに復活しなかった。
(後日時計屋で診てもらったところ年代モノにつき修理不能との回答であった。これまで大変お世話になったカシオの初代TWINSENSOR また一つ世代交代である)
グリーンロードで寸断された山道
1993年3月のよく晴れた日、「南阿蘇登山道」をマウンテンバイクで縦走途中(清水峠〜護王峠 殆ど担ぎ)地蔵峠でおにぎりを頬張っていると突然ヤブから紅白の棒が出てきた。続けて測量の機械を担いだ二人の男が現れた。

こっちも驚いたがおにぎりを頬張る姿と傍らの自転車にあちらはもっとビックリした様子で二人の会話は途絶えた。そしてこっちを見て見ぬ素振りで遠巻きに棒を立てたり望遠鏡を覗いたりしている。
この山奥の峠ははかつて遭難者もでているし、人を化かすと言われる狸や猿も出没する。

「もしもし、あーたたちは・・・・」こちらからコンタクトを求めるが未だ不安そうな顔つき、「実はこれこれしかじかで道中の者だ」とこちらの素性を明かすとやっとこの世の生物と理解したらしく「実はですね、ここに道が出来るとですタイ。あのですね・・・」急に饒舌になった。「ほら、ここはですね、そこに山があるでしょうが、あの山まで橋が掛かるとですタイ、そしてですね、ずーと、ほら、あそこあたりば通ってですねアスペクタの裏に出るとですよ」晴れ渡った南郷谷に彼の指先が勢いよく突き刺さった。

夢のまた夢のような話であった。 その道を生きているうちに一度は通ることが出来るだろうか。
遠い遠い先のそのまた先の話のようであった。
その雲の上の路をもう5回も走っている。(阿蘇望第1回目は七曲峠越、2回目よりグリーンロード開通により地蔵峠越)


晴れた日の地蔵峠

山のほぼ中央部が地蔵峠
地蔵峠。
 4体のお地蔵様が祀られている。
峠を越えるとまるでジェットコースターのようなスリルを味わいながら一気に阿蘇谷に突入する。ただし本日の阿蘇谷は雲の中。
外輪山を下ると雨足がまた強くなった。水滴がメガネの視界を遮る。ブレーキが効かない、おまけに寒い。晴れていたら楽しいいはずの下りが恐怖の下りとなった。このような天候の中で二つ目の峠、三つ目の峠を下る自信はない。
・・・コース変更〜!。

阿蘇谷は雲の中

晴れた日の阿蘇南郷谷

下り勾配11%一気に下る
Bコース(70キロ)の折り返し地点にはやはりAコースからBコースに変更を決断した同士や、行くべきか帰るべきかと思案している参加者も多いようだ。その傍らを何もためらわず雨に煙る南郷谷に一直線に突入するライダーもいる。
彼らはライダーと言うより、アドベンチャーと呼ぶべきではないだろうか。無事に帰ってくるのを祈るだけである。

下ってきた道をトボトボト上り、上ってきた道をスタコラと下って6回目の阿蘇望を終えた。
行くべきか、行かざるべきか Bコース折り返し地点
久木野村国際童謡館前
エピローグ
「きつい大会には参加しない」をモットーとしている知人が「なんであげん雨の日にカーボンシューに付け替えんだたと?手は腱鞘炎になるよ、タイヤは?なに、換えとらん、うわぁ〜 雨具も用意しとらんかったとね、あららら・・・・」と嬉しそうに言った。

Aーコースでは298名の選手が完走率されたそうです。 何人の方がシューとタイヤを交換し雨具を用意していたのでしょうか
この日水俣では多くの方が土石流で亡くなられました。ご冥福をお祈りいたします。
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