阿蘇カルデラスパーマラソン 日記
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                                                       弟16回(2005)大会
今年は練習不足とそれに伴う体重の増加で100キロを断念し50キロに挑戦。
11時スタートの旧波野村役場に到着するころ頃にはそれぞれの表情でそれぞれの目標を掲げた何人もの100キロランナーとすれ違う。
向かえる60キロ、70キロが正念場、体力から気力へのシフトアップの地点、しかしこの時間の通過者は何れもまだまだ余裕と気迫に満ちている。(羨ましいかぎりだ・・・・・)
過ぎ去っていくランナーに敬意を払いスタート地点に到着すると、次々と50.8キロを走破してきた人、これから50キロに立ち向かう人々でいつもの賑わいをみせている。
「今年は関門を気にすることはない、ゆっくりと阿蘇の絶景と一体となって走るぞ!・・・」
と思いきや大変な50キロとなった。
すでに10キロを過ぎたころから身体がズッシリと重くなった。
日頃テクテクと走っている距離にも満たない所で既にフルマラソンを走ったような疲労感に見舞われ、いつもならこれから上り調子というところで気分まで悪くなってきた。
今まで100キロと登山マラソン以外では歩いたことはなかったが遂に20キロ過ぎのやまなみ道路へ続く坂道は歩いた。外輪山の登りも歩いた。そして90キロ(40キロ)過ぎの田園地帯も歩いた。
原因は判らない。
(練習不足だから疲労の蓄積でもなかろう、練習不足といっても三日前の15キロは先ず先ずだったし、50歳を過ぎたといっても、もっともっと先輩がおられるではないか、デブになったとは言っても体脂肪率は未だ10%台・・・・・精密検査が必要かもしれない・・・・・)
【後日病院で検査を受けた。結果は「異常なし」。病院の先生が言った「そんなに走ってキツイのはフツーである」・・・・・・・よく判らない・・・・】
一昨年の下痢リタイヤ大会もつらく苦しい阿蘇路であったが今回はこれといった原因が思い当たらないだけに始末がわるい。
たまに「キツイのにどうして走ると? それも50キロも100キロも、しかも高い金まで出して、解せない・・・・・」と率直な意見を述べる人がいる。
私は、その人の考えは一点の陰りもなく正しい、と歩きながら思った。
午後5時20分過ぎ予定を約1時間遅れてゴール。
・・・・・やっと終わった・・・・・
ゴールで待っていた奥方が「遅かったね。リタイヤかと思って今掲示板を見に行くところだった」と言って出迎えた。
今年で8回目、奥方も慣れたものである。(連続9回の間違いでした)
そして「スゴイよおとうさん!裸足で完走した人がいたよ、それも69歳だって、それからおとうさんより早かった」と続けた。
私はチップを外しながら聞こえない振りをしてやり過ごした。


そこには100キロより過酷な50キロがあった。
調体、調息、調心。
どの一つが欠けても到底長い道のりを走りぬくことは出来ない。
私のような力のない者にとってのウルトラマラソンはやはり1年間ゆっくり、じっくり、たっぷりと取り組んで挑まなければならないイベントなんですね。



以下の新聞の切り抜きは大会翌日(2005/06/05)の「熊本日日新聞」に載った同大会と裸足のランナー「松隈氏」の記事である。
                                                          (第14回大会)
今年はこれまでに経験したことのない苦しいい 大会となった。
元来胃腸には自信がありここ数年下痢の襲撃を受けた経歴はなかったのに、不覚にも大会前夜下してまった。
恒例となっている10キロ地点の久木野村役場のトイレは時にテレビで見かける「行列の出来る○○屋」のような光景にでくわすることがある。昨年は不本意ながらその列を長くしてしまった。もしあそこで滞りなく用をたしておればゴールのタイムは少なくとも5分は短縮できたのに・・・。
そこで今年こそはスッキリした気分で、と前々日に「健のう丸」のお世話になったのが災いしたようだ。平素薬とか漢方に縁のない人間が便秘でもないのに・・・・。
うっすらと外輪山が浮き出て、ひんやりとした朝靄の長陽村をスタートして、ナント1キロも行かない地点で症状が来た。
後はバレリーナーのようなフォームでキョロキョロと辺りを物色しながら走る。
今年もまた役場のトイレの前で足踏みをし、カラオケ屋のトイレを借り、林に駆け込む。
何とか力をつけようと少しでも口にすると直ぐにトイレを探さなければならない。食べれない、飲めない。とても100キロ先のゴールにたどり着くことはできない。考えることは「リタイア」のことばかり。小銭入れに貼り付けた関門時間は64.8キロ地点から。・・・まさかこんな羽目になろうとは・・・夢にも思わなかった・・・
高森峠の坂道を足元だけを見てとぼとぼと歩く。「100キロは無理としても、何とか50キロ。是が非でも波野村の役場までは・・・」  
呪文のように唱えながら一歩一歩足を運ぶ。何とか35キロを過ぎたころより腹痛は治まったものの、依然としてエイドでは口をゆすぐだけ。腹の皮は内臓にくっついているような感触で力が出ない。
45キロの表示が「歩いてでもいけるぞ」語りかけてきた。しかし47キロ付近でついに鉛のような足が後方からの車の音に反応した。これまでのマラソンで始めて後ろを振り返った。
不運(?)にも収容車ではなっかた。
産山村役場50.8キロ地点、スタートして6時間29分、転がるようにゴールした。(自らの意思による始めての棄権である)

「嘔吐しながら、激しい下痢に見舞われながらも完走した、それも好タイムで」という雑誌の記事や、人伝えに聞いたりすることがあります。・・・私なんかとてもとても・・・・・
でも完走出来なかった時の方が辛くて苦しいけど、いろんな事を経験したり考えたり、中々ドラマティックでいいものですね。これもまたウルトラマラソンの醍醐味でしょうか。
それとも完走出来なかった者の言い訳でしょうか。

                                                          (弟13回大会)

あちこちの大会に参加していると沿道からいろんな応援や声援がありますね。
「ガンバッテ!」「ファイト!」「いってらっしゃい」「お帰りなさい」これは一般的。「おはようございます」「こんにちは」とこられるとつい「おはようございます」「こんにちは」とつい返してしまう。私設エイドで子供達が差し出すミカンやあめ玉など頂かない訳には行かない。
以前大きなミカンを貰ったとき、処分に困って沿道のおばあちゃんにあげたら何度も何度も頭を下げて大層喜んでもらったり、またエイドでのんびりしていると「どこから来なさったか?」質問が飛んで来たりする「○○からです」「ほう、遠方からよう来なさった」 近隣から参加のランナーだと「○○から来たなら△△サンば知っとろ?」「ほら小学校の先の角から曲がって・・・・」ランナーは「知らない」と言っているのに説明は更に続く「△△サンはうちの隣の××さんと兄弟になるとタイ××の方が弟、いや兄・・・・」先を急がない旅なら話にゆっくり付き合ってやれるがそうもいかない。
ある時の大会が終わって数日後、地方紙の投書欄に「阿蘇カルデラスーパーマラソン参加したが阿蘇町に帰ってきた時、沿道の応援があまりにも寂しかった。みんな一生懸命100キロも走ってきたのに・・・・・」地元ランナーの小さな記事が載った。

朝5時スタート。山鳥たちの歌声に見送られ、オレンジ色の朝陽に挨拶をする。のんびりと食む牛に敬意を払い、森の精から通行許可をもらう。時に豪雨の洗礼うけ、時に太陽の強烈な視線を受けたりもする。五岳はどっしりと雄大に構え、小川のせせらぎはハーモニーの旗を振る。草原は輝き、若草は涼風に香る。田園の先の町並みは精も根も尽き果てた身体に気力を取りもどしてくれる。そして最後に「よくやった」と自分が褒めてくれればもうそれで十分です。十分すぎます。
                                                        (弟12回大会)


どしゃ降りの大会がありました。そのスタートラインにクリス・ムーンという義足のランナーがいた。足だけでなく右手も肘から先がない。地雷処理中に失ったという。
ややペースダウンした彼に15キロ付近でしばらく併走した。
天気は雨。途中から大雨洪水警報が発令されるというコンディションの中多くのランナー達は帽子とゴミ袋のレインコートで雨を凌いでいる。しかし彼は上下紺の短パンとTシャツのみ。帽子のない頭からしたたる雨だれを残された手で何度も何度も掻き揚げる。視線は常にカシャカシャという金属音の足元。小さな障害物も彼には取り返しのつかない障害物なのかもしれない。
傍らを生ゴミ達がパシャパシャという足音をたてながら通り過ぎていく。
私は「ガンバッテ」と声をかけて前に出ると彼は苦しい表情を見せながらも親指を立てて応えてくれた。
雨は一向にやむ気配はない。いつもの清流は褐色の濁流の大河となり山肌からは鉄砲水が噴出している。72キロ付近のやまなみハイウェーに続く工事中の上り坂はえぐられ土砂が川のように流れ落ちてくる。
このコンディション中、もうすっかり彼のことは忘れていた。
やまなみハイウェーを横断し小国町に続く下りに差し掛かったところで右足に異変が起こった。足が着地する度に膝の横の神経を針で刺すような激痛が走る。
思わず息が止まる。
とても走ることなど出来ない。
下り坂をポツリポツリと歩く。たまにランを試みるがやはり息が止まる。初めて経験する痛さである。何人ものランナーの背中が小さくなってく。
75キロ地点の少し手前を諦めて歩いている時のことである。カシャ、カシャという聞き覚えのある音がした。ふと横を見るとナント義足の彼ではないか。
そんなバカな。そんなことは絶対にありえない。あり得るはずがない。夢か、幻覚か・・・。
紺の上下、足元に落とした視線、苦しそうな表情の中にもバランスを保ちながら一定したリズムのフォーム、それらは15キロ付近と全く変わらない。強いて変わっていることといえば小休止の雨で顔面を掻き揚げる仕草が見られないぐらいだ・・・・。
一体全体どうやってここまで来たのか、あの高森の峠をどうやって、あの川のような砂利道をどのようにして・・・・。
私は息を止め必死に彼の後に縋った。
しかしその差は少しずつ少しずつ開いていき、ついに霧に煙るコーナーに消えてしまった。
彼に負けるわけにはいかない、彼の苦しさ、辛さ、痛さはどれ程か・・・・何としても続こう、続かなければ・・・。
右足を引きずりながら外輪山の長く続く上り坂を走る。前方を歩くランナーとの距離がなかなか縮まらない。
すると不思議なことが起きた。それまで着地するたびに息を止めていた右足の激痛が嘘のように治まってきたのだ。
奇跡とは起こるものだ。
外輪山を上りきると更に霧が深くなり、その霧の中から85キロのエイドがスーッと現れた。温かいお茶の接待に足を止めると「クリーム! クリーム!」と悲痛な叫び声にも似た声がする。ふと前を見るとイスに腰を下ろした彼が義足をはずし、その義足の当たるところに懸命にクリームを塗りこんでいるではないか。外輪山の急坂が辛かったのだろう。
私は湯飲みを半分残し、彼に黙礼して霧の中のコースに戻った。
ゴール13時間13分15秒、そしてクリス・ムーン13時間16分25秒。
ゴールの時、彼は初めて鉛色の天を仰いだ。そして残された方の拳を突き上げ「Great!」と吠えた。

それぞれの人間がそれぞれの人生を懸命に生きている。
今日また一つ結論が出た。
人は誰でも、諦めることさえしなければどんなことでもやり遂げることが出来るものなのですね、ウルトラマラソンだって、何だって。
                                                       (弟10会大会)

今年もまた花を咲かせることが出来ました。完走は出来なかったけれど・・・。
また一年間、水をやり肥料を与え来年もまた花を咲かせたいですね。出来れば大輪の花を。

スタートラインに立てた。ただそれだけでいい。
                                                          (第8回大会)


ウルトラマラソンに初めて参加したときのことです、ペースやコースの未知に加え道中、先輩ランナー達との世間話につい花を咲かせたのが災いしたのか、40キロを過ぎころよりいきなりペースダウン。
中間地点の波野村役場にヨタヨタよと駆け込み靴下とシャツを取替え気を取り直してまた走り出す。
予定では、中間地点を11時にスタートする50キロの部のランナーと一緒に出発する予定だったがもう彼らはとっくにスタートしてしまった。
52.5キロ地点のスイカがやけに美味かったが一切れがやっと。先を行くランナーもまばらで何れも辛そうな背中を見せている。時折意識すら薄れふらふらとセンターラインが目の前にきたりする。「一日中走れると思うと楽しいですね」と話してくれた100キロ以上の大会に年間4回以上参加するという猛者ランナーがおられたが、少しも楽しくない、苦しいだけではないか。
収容車から「だいじょうぶですか?」と声が掛かる、ちっとも大丈夫じゃない死に掛けている、と心で返答し、右手を少し上げてやり過ごす。65キロを過ぎた頃より70キロの関門が気になる。無理かも知れない、しかし何とか70キロは・・・・70キロまで行けばなんとか言い訳もできる・・・・。
関門まであと数分、次のコーナーを曲がればきっと70キロ地点だ、間違いない。・・・無情にも予想はまたはずれた。
とにかく前に進もう。視点の定まらないその先にマイクロバスが見えた。よし、70キロの関門だ、何とかあそこまで、とその時バスがこちらに向かって動き出した。
「お疲れ様でした」初めてのウルトラマラソンは9時間10分で終止符が打たれた。
収容車は一人また一人と増えていく。そして疲れた様子の中にも目を輝かせた中年の女性が乗り込んでこられた。収容車の先輩達に一礼して憔悴した若い女性の横の席に着かれると小声ではあるが弾んだ声で「昨年は55キロまでだったんです、でも今年は65キロまで来れたんですよ、目標達成です。よかったです。とても嬉しいです」と言うとシートに深く身を沈めて目を閉じた。

100キロの道のりは長くて険しい。途中何度も、もうこれっきり、これが最後だと思う。
しかし、ウルトラマラソンには2つのゴールがあることを知ったとき、また頑張ってみるか、と勇気のようなものが沸いてきた。
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